セミの妖精

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 都心の森の脇を車で通ると、窓から「カナカナカナカナ」と寂しく鳴くヒグラシの声が聞こえる。ああもう夏も終わりだなとせつない気持ちになる。そのまま青山通りをまっすぐ走ってデパートへ向かう。

 駐車場に車を止めてデパ地下へ。
 食品街入り口の扉を入ったすぐ向こうに見えるのはジェラート屋だ。そこはフレーバーの種類が豊富でどれを食べてもおいしいので人気がある。
 入り口扉の手前でふと店内を見てギョッとした。ジェラート屋の前にそびえる太い円柱を囲むように立ち食いイートインコーナーが設けられているのだが、そこにジェラートを手にした女子が大量にひしめいているのである。いつもの3倍強はいる。その日は久々に暑さがぶり返した真夏日だったし、時間は会社が引けて1時間以内ということもあったかもしれない。
 円柱を囲む女子の群れが、まるで大木にたかるセミの群れに見えた。
 カナカナカナカナ。
 先ほど聞いたヒグラシの鳴き声が脳を斜め横断していく。ここに集う太った女子・痩せた女子・中肉中背の女子たちはもしや、甘い樹液を吸おうとするセミの妖精ではあるまいか。そういえばみな魂が抜けたようなうつろな目をしている。
 一心にアイスをなめるセミの一群の脇を通り過ぎ、焼き鳥弁当と秋の味覚のケーキ(マスカットが乗っているスポンジケーキ)と明朝食べるパンを買い、そそくさとデパ地下を後にした。

 翌日は水戸街道を車で一直線に走った。特に用事はない、ただ走りたかっただけである。
 小腹が減ったので途中の葛飾区でファミリーレストランに入る。
「ホットケーキとドリンクバーのセットお願いします」
 注文をし終えてうはっまだまだ暑いぜとおしぼりで手を拭いてひと息つくと、背後でけたたましい笑い声が聞こえる。
 振り向くと70代、80代の老女の群れ。8名ほどの老女が一心不乱にクリーム白玉あんみつやクリームわらび餅、クリームコーヒーゼリーなどをスプーンですくいながら何かのひとことをきっかけにどっと笑っているのである。
 カナカナカナカナ。
 前日に聞いたヒグラシの鳴き声が脳内に響き渡る。「若いもんにあたしらの苦労がわかってたまるかい」と言わんばかりの老獪な目つきをした彼女たちはもしかするとやっぱりセミの妖精なのか。
 年寄りゼミの笑い声は30代40代50代の頭のてっぺんから漏れ出てくるおほほほほほではなく腹の底から出てくる地声のわははははである。それがいい、とてもいい。聞いているこちらまで楽しくなってくる。
 同い年の男が100人束になってもきっとかなわない、そんな一筋縄ではいかないような婆さんたちの屈託のない笑い声は1カ所ではなくあちらからもこちらからも響いてやがて店内で共鳴し、ひとつの大きなヴァイブレーションを作り上げる。まるでベートーベンの交響曲第九番第四楽章「歓喜の歌」を聞いているようだ。

 にぎやかなファミリーレストランの隅っこでひとりホットケーキとカプチーノを味わっているうちに窓の外が薄暗くなってきた。
 最近は夕方6時を過ぎるともう暗くなる、そろそろ店を出なければと思うが、さざめくようなカナカナカナカナの大合唱を聞いているうちに何となく立てなくなり、仕方なく3杯目のコーヒーを飲みながら紫色に染まっていく水戸街道をぼんやりながめていた。