バス停の教え

IMG_1512
 休日の夜、帰宅のため駅前のターミナルでバスを待っていた。濃いブルーの空がときおりピカピカッとストロボのように光るのをぼんやりながめていると、「雨は降らないのに雷がすごいわねえ、ああ、あんなに空が明るい。大自然というのは本当に人知の及ばない世界ね」と自分の前に並んでいた60歳くらいの小柄な婦人が私に言う。
 おかっぱ頭ですっぴん、涼しげなワンピース、くるぶし丈のソックス。童女がそのまま年を重ねたような風貌。
「私が子どものとき、伊勢湾台風が来てね。あっという間に水がこの辺まで上がってきたの」
 水平にした手を、鼻のあたりまで持ち上げる。
「すぐ2階に避難して外を眺めていたら、うちの犬が水の中を犬かきして泳いでいるのが見えたから、それを家に引き上げて。ああ、私たちは自然には歯が立たないんだなあって思ったわ」
 あ、また光った、すごいね、そう言って空を見上げてから人なつこい目で私を見る。
「真っ先に救援物資を送ってくれたのは中国でも韓国でもない、アメリカよ。いろいろな意見があるけれど、安保条約ってこういうときに効くんだって思ったわ。一度交わした約束っていうのは、きちんと効力を発揮するものなのよ。安保条約に限らず、世の中はすべてそう。そういうしくみになっているの」
 バスが来た。
 バスで見知らぬ人から話しかけられるのはこれで何度目だろう、経験を積んだ人の話はおもしろい、こういう話はネットやテレビでは絶対に聞けないものなあ。
 バスを降りると小雨がパラパラ降っている。私は雨粒を肌に感じながら「約束」について考えた。
 約束は、人間同士だけでかわすものとは限らない。人間と神さまの間にもかわされるはずだ。
「神さまどうかこの地域をお守りください、毎日お供え物をして、年に一度は派手なお祭りをしますから」
「この仕事で成功したいのです。そうすればたくさんの人が幸せになれます」
「私は大金持ちになり、それを恵まれない人たちに分けてあげたいのです」
 その夢や希望が本人にとっても神さまにとっても何らかのメリットがあり、なおかつ途中で契約違反をしない限り、取り交わされた約束はいざというとき確実に効力を発揮するだろう。
 だがこういう場合はどうだろう?
「神さま、どうかお金持ちになれますように」
「玉の輿に乗れますように」
「この世の幸せがすべて手に入りますように」
 どんなにたくさんお賽銭を投げてそう祈っても、「お前はそれでいいだろうよ、だけどそれ、わしに何のメリットがあるの?」と神さまは軽く一蹴することだろう。
 自分の希望が叶うことで、相手にもメリットが生じること。それをきちんと踏まえたうえで交渉するのが、約束を取り付ける際のコツだと思う。一方通行はただの「お願い」、双方向性があるのが「約束」。相手が人間であれ神さまであれ、そこに注意すれば夢はずっと叶いやすくなるのではないだろうか。

2010.07.25