人はなぜパワースポットに行くのか

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 神社仏閣やパワースポット(聖地)をめぐることがちょっとしたブームになっているようだが、これは日本に限ったことではなく、かつ今に始まったことでもなく、ずっと昔からあらゆる場所で連綿と続いている行為だろう。
 なぜなら人生に行きづまったときや不安なとき、心配事があるとき、人間はより大きな存在にすがりつきたくなるからだ。
「神さま、助けてください」
「正しい道をお示しください」
「どうか力をお貸しください」
 そうやって神さまの前で真摯に祈れば、願いはきっと聞き届けられると私たちは信じている。
 では、実際はどうなのか。
 神さまに祈ったすべてのことが叶えられたら、世の中はぐじゃぐじゃになってしまう。たとえば同じ男性を好きなA子さんとB子さんがそれぞれ「神さま、どうかあの人が私のものになりますように」と祈り、それが叶えられてしまったらどうなるか。相手の男性は身が持たないであろう。
 だから、世の中には「叶えられる願いごと」と「叶えられない願いごと」が存在する。「叶えられない願いごと」とは、次のようなものではないか。
◆それが叶うと明らかに本人にとっても周囲にとってもプラスにならないこと(「Xさんが妻子と別れて私のものになりますように」「憎いZさんがひどい目に遭いますように」など。祈っている当の本人にはそれがまっとうな望みでないことを認識できていないことが多い)
◆本人の資質と実力をはるかに超えた高望み(「明日目がさめたらロックスターになっていますように」「アイドルのK君と結婚できますように」など)
◆適当に願ったこと(「とりあえず金持ちになりたい! でいいや」)

 それが叶えば本人はもちろん、周囲にとっても大きなメリットがある願いごとなら、そして本人がハードルを乗り越えるべく必死に努力するなら、さらにその夢がかなうことを本人が心の底から真剣に願うなら、多少時間がかかっても、少々力が足りなくても、少しばかり邪魔が入っても、必ず現実化するのではないか。
 では、同じような「叶えられるべき願いごと」を持つ、同じような条件下のA子さんとB子さんがいたら、神さまはどちらの祈りを先に聞き届けるだろうか。
 神さまの立場になって考えれば、答えは簡単である。
「A子はいつも私のところにやってきて、けなげに手を合わせて頭を下げる。しかしB子は一度も私のところに来たことがない」
 どちらがかわいいか。もちろん、自分を慕ってくるほうである。で、「顔見知り」であるA子の言うことを先に聞いてやるわけである。
 古今東西・老若男女を問わず、多くの人が神社仏閣、パワースポットにせっせと足を運ぶのは、神さまに顔を覚えてもらいたいからだろう。
 人々の願いを親身に聞いてくれる神さまは、人間的な情をお持ちのはずだ。ならば御前にわざわざ足を運ぶことは、あながち無駄ではないように思う。

2010.09.18