雄島

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 数年前、仙台の松島にハマッたことがある。自宅から吉方位であったこと、気に入ったホテルがあったこと、食べものがおいしかったことなど理由はいろいろだが、何より好みの観光名所が集中していたのである。
 雄大な杉並木を通り抜けて行く瑞巌寺、渡り橋の底の透かしから海が見えるスリル満点な五大堂、朱塗りの長い橋を渡って行くアドベンチャーな福浦島、かわいいイルカやアザラシに会えるマリンピア、名菓「萩の月」「萩の調(しらべ)」で知られる菓匠三全(イートインあり)。
「バラ寺」「苔寺」と呼ばれる円通院もすばらしい。植物が膝の高さまでうっそうと生い茂る墓所は、1人でぼんやりするには最高の場所だ。
 しかしなんと言っても特筆すべきは雄島(おしま)であろう。神秘的な切通しを抜けた先には、真っ赤な渡月橋。その橋を渡った向こうは静けさと神秘に満ちた異界である。
 小さな島内には石塔や仏像が建ち並び、島の岩肌のあちこちに四角い岩窟が彫られている。岩窟は、ちょうど人が1人座れるくらいの大きさだ。
 雄島はその昔、見仏上人という高僧がこもって修行をした島であり、僧や俗世を捨てた者たちがここに集まり、岩窟に座って修行したという。 

 夏が近いある晴れた日、私はこの島を訪れ、小高い丘に座って松島の海を1人でぼんやりながめていた。周囲には誰もいない。
 海に浮かぶ島々を縫うように、白い遊覧船がゆっくり進んで行く。のどかな風景だ。
 おだやかな日差しがぽかぽかと温かく気持ちがいいので、靴を脱いで素足になった。土が温かい。白い足の甲を1匹の蟻が渡ってゆく。それをじっと見つめるうち、「この島で暮したらどうなるだろう」と思い、しばし夢想にふけった。
 1、2時間くらいそうしていただろうか。背中の向こうが何となく頼りなくなり、立ち上がって歩き出した。
 薄暗い木々のふもとで座禅を組む、巨大な仏像が眼前にあらわれた。何だかその仏像が生きているような気がして不安になり、出口に向かった。

 岩壁にぐるりと取り囲まれた薄暗い広場に出た。空気がしんと冷えている。
 岩壁は1カ所トンネル状にぶち抜かれており、光の射す明るいあちら側に通じている。そこを通って島内から出る構造だ。
 岩壁にはさまざまな形の岩窟がうがたれていた。仏像や卒塔婆が収められている岩窟もあった。
 じっと見ているうち、岩窟の中で座禅を組んだまま静かに事切れた僧の姿がふと目に浮かんだ。
 あ、まずい。
 広場の草むらに、たくさんの死体が転がっている映像が脳裏をよぎる。
 そうか、ここ、死体置き場だったんだ。
 そう気づいて鳥肌が立った。
 早くここを立ち去らねば。しかし外に出るには、この薄暗いトンネルを通り抜けなければならない。トンネルはけっこう奥行きがある、何秒間歩けばいいのか。もし、途中で何かに捕まって身動きができなくなったら?
 私はこわごわトンネルに足を踏み入れた。
 ひんやり冷たい空気が全身にまとわりついた。
 できるだけ五感を閉じて歩いた。
 雄島はその昔、御島とも書かれた。オシマ、オンシマ、・・・・・・、怨島?
 自分を取り巻く空気が冷気を増した。明るい世界の向こうへ走った。 

 雄島が「あの世とこの世の境目」であり、「死者の骨や遺髪を葬り、浄土往生を願う日本有数の霊場」と知ったのは自宅に戻ってからのことだ。
 その島を一歩も出ず、12年間にわたって修行した見仏上人はやがて法力を身につけ、鬼神を操ったり、瞬間移動を行うようになったと言われる。
 いつ行っても、あの島にほとんど人がいない理由がこれでわかった。雄島は死者の島なのだ。
 それでも、無性に惹かれるのはなぜだろう?
「岩窟の中に座ったらどんな気持ちになるだろう」とつい想像してうっとりしてしまうのは、私という人間の性(さが)なのだろうか。

2010.10.13