ずいぶん昔、暮れも押し詰まったちょうど今くらいのころ、仕事でとある町へ出かけた。朝から仕事を始めて、終わったのは午後2時か3時ごろだった。
帰路につくため最寄りのバス停まで人気のない道を延々と歩き、1人でバスが来るのを待っていた。夕方と言うにはまだ早すぎる時刻だったが、しんと冷えた静かな空気があたりに漂っていた。
寒さにうんざりしながら道路の反対側に目をやると、人の背丈ほどの高さの塀にぐるりと囲われた敷地の内側に、暗い森が広がっていた。
あそこはいったい何だろうと見ていると、敷地の門からぞろぞろ人が出てきた。10人ばかりの男性が、出てすぐのところで所在なさげに立ち止まった。誰かと手をつないだり、一人で立ちすくんだり、じっと地面を見つめたり、まるで屋外に放置された銅像のようだった。
門には鉄格子の扉がついていた。扉の横の古ぼけた看板に○○精神病院とあった。そこではじめて、入院患者が外に出てきたのだと気づいた。
引率者らしき人が「じゃ行きますよ」と言うと、みな一斉にうなずいた。若者から老人まで年齢はバラバラだったが、どの顔もみな無邪気で屈託がなかった。
そうか、これからみんなで散歩に行くのだな。
私の乗るバスが来た。
がらがらの車内に乗り込んだ私はあれこれ想像をめぐらせた。
あの人たちは咲いている花に見とれたり、馴染みの猫に出会ったり、どこかの店で好きな菓子を買ったりするのだろうか。歌はうたうだろうか、何を口ずさむのだろう。
男たちは一列に並び、弱く輝く太陽に向かってゆっくり歩き出した。まるでオレンジ色の光に吸い込まれる蟻のように。
バスが発車した。私はガラス窓越しに振り返った。
薄暗い塀の外にいた男たちはすでにどこかに消えていて、ただ黒い森だけがひっそり息づいていた。
2010.12.23