バベルの塔

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 平安時代、鴨長明(かものちょうめい)という歌人・随筆家がいた。いいとこのお坊ちゃんでありながら一族の権力争いに負けて50歳の春に出家し、54歳で人里離れた場所に方丈(ほうじょう)という小さな庵を建て、62歳で没するまでそこで1人で暮らした人である。

 彼は20代のとき、京の都で立て続けに発生した大火災や竜巻、飢饉、大地震を体験し、そのときのことを後に「方丈記」という随筆にまとめている。火事や竜巻で一晩のうちに消失した町のようす、飢えや流行病に苦しむ人々の凄惨な姿、日に日に荒れ果てていく都の姿などがそこには鮮明に描かれている。
 元暦二年(1185年)に京都で発生した大地震については、こんな記述がある。
「山は崩れ落ちて土砂で河が埋まり、海が傾いて津波が押し寄せた。大地は裂けて水が噴き出し、大岩が割れて谷底に落下した」
 推定マグニチュードは7.4、余震は3カ月ほど続いたそうである。地震の恐ろしさは、12世紀の昔も21世紀の今もまったく変わらない。

 4月4日に得た易卦は「山地剥(さんちはく)」。
「山が崩れ落ちる」という崩壊の象であり、タロットで言えばTOWER(バベルの塔)、つまり「災難」「破壊」「事故」の卦である。
 そういえばバベルの塔と原子炉は形がよく似ている、メルトダウンして今まさに朽ちなんとしている原子炉は、高度成長期に生まれてどんどん高く積み上げられたバベルの塔だったのではないか。
 だとすると今回の地震と大津波は、人間のおごり高ぶりを戒めようとする神意だったのか。
 ではなぜ、岩手や宮城、福島など東北の人たちの命が集中的に奪われたのだろう?

 方丈記の話に戻ろう。
「飢饉時にはいくら金や財宝を持っていても何の役にも立たない」
「見栄を張って建てた大きな家も、災害が来ればあっけなく滅びる」
 一貫して無常観の漂うこの随筆には、「しかし、感動するような出来事もあった」と記されてもいる。
「飢饉や病が横行するなか、仲のいい夫婦は、愛情の深いほうが必ず先に死んだ。なぜなら自分より相手の身をいたわるあまり、やっとのことで得た食べものも相手にあげてしまうからである。親子の場合は、子を思う親のほうが必ず先に逝く」
 その一文を読んで頭に浮かんだのは「聖性」「犠牲(Sacrifice)」という言葉だった。よけいなことを言わず、ただニッコリ笑って「お食べ」と命の糧を相手に差し出す、深い慈悲と徳を有する人たち。人の罪を背負ってはりつけに処されたキリストの姿と、無口だが情の厚い東北人の姿がかぶる。

 山地剥は易のセオリーでは「足もとが崩れる」という凶卦だが、それほど悲観的になることもない。「今まで君臨していた古い価値観が崩れることによって新しい価値観が生まれる」と解釈できるし、便秘が治ったり生理が始まるときにも実はこの卦が出る。つまり「つっかえていたものが崩れ(はがれ)落ちて道が開通する」とか「出口の見えなかったトンネルが貫通して見通しが出てくる」という見方もできるのだ。  
 今回の災害や事故をきっかけに、今まで「当たり前」と思っていたことに亀裂が生じ、ものごとの原点を見直す人が増えることだろう。たとえば人の手に負えない怪物をちゃちな箱で囲って安易に設置すること、人より多く稼いだり、権力や地位を得ることが幸せであると勘違いすること、人が人の下に人をつくっておとしめること、命を繁殖して金を儲けたりペットショップで命の売り買いをすること、その他もろもろ。
 それら古い時代の価値観があまねくこなごなに砕け散り、かわりにすべての生きとし生けるものが心の底から「楽しいね」「うれしいね」と感じられる社会にやがて進化していけばいいと心から思う。

 日本の別称は、豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)。「美しく豊かな大地に、みずみずしい黄金色の稲穂が育つ国」という意味だ。
 たしかにこの世は陰から陽へ、陽から陰へとダイナミックにうねりながら無常に変化していく。しかしたとえどんなにおそろしい天災や人災に見舞われようと、日本人が果敢に這い上がる力を有していることは、歴史で証明されている。
 これは日本人のDNAが豊葦原瑞穂国の原形を記憶しており、いかなる目にあっても本来あるべき姿を取り戻そうとするからに違いない。私たちの魂には、起き上がりこぼしが刻印されているのだ。

2011.04.04