パワースポット

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 大みそかの午後、とある神社へ行こうと思い立った。1年間無事だったことに対するお礼参りと、広い境内を散歩したかったのだ。
 愛車に乗り込むと道路はガラガラ、駐車場もガラガラ、境内もガラガラ。大みそかはこんなにすいているのに一夜明ければオセロを裏返したように過剰に人が押し寄せる、神社ほど陰陽の逆転しやすい場所もないのではないかと思いながら広大な境内を散策。
 本殿に向かう途中、「パワースポット」とちまたでもてはやされている一角の入り口を発見、興味がないのでそのまま通り過ぎたが、「まてよ」と思い直して引き返した。いつもは長い行列をつくっているけれど今日なら確実にすいている、じゃあせっかくだからどんなものか見てみようと思ったのだ。

 入り口で料金を支払って中に入ると、よく整備された庭園が広がっている。春になれば美しい花が咲き乱れるミニハイキングコースになるのだろうが今は冬のど真ん中、草木が枯れて寂しい風情だ。
 順路の矢印に沿って小道を歩くと、やがて広大な池が出現した。日が射さないせいか、表面に薄く氷が張っている。地獄のように真っ黒い池、この中に落ちたら心臓が一瞬で凍るだろうなとおそるおそるのぞき込むと、水面下に灰色の鯉が何匹もゆらゆら泳いでいる。冬の池はやっぱり陰気くさいなあとその場を後にする。
 園内を歩いているのは若い女性やカップルが多い。しばらく行くと行列の最後尾が見えてきた。湧水の井戸を見るために並んでいるのだ。先頭へ続く道はなだらかな下り坂になっていて、行き着く先に丸い井戸が見えた。
 井戸からあふれた水は小さな川をつくり、そのままあの黒い池に流れ込んでいるようだ。川の中には飛び石がしつらえられえていて、参拝者はその上を渡って井戸を拝む。
 1人あたりの所要時間が長いせいか、自分が来たときは15人ほどの行列だったのに、しばらくして振り返るとどんどん長い列が伸びていた。
 あともう少しで自分の番というとき、小バエの群れがバスケットボールくらいの大きさの球を描いて頭の上を飛んでいるのに気づいた。
 あ、ここやばい。
 しかしせっかくここまで来たのだからと自分に言い聞かせ、がまんしてやり過ごす。
 さあ次はいよいよ自分という段になり、川の手前の階段を下りようと足もとをふと見ると、今度は大ミミズが1匹のたくっていた。
 あ、これはもう完全にまずいと思ったが今さらここで引き返すわけにはいかない、ええいと大ミミズを飛び越え、石を渡って井戸をのぞき込んだ。
 こんこんと湧き出す水は何の曇りもなく清らかに澄んでいる。しかしその周囲に陰の気が幾重にも重なって取り囲み、実に奇妙な空間になっていた。重苦しいのですぐ井戸を後にした。

 パワースポットを出てしばらく歩き、午後の光がさんさんと当たる本殿の前に立った。
 八方位の気を一身に浴びることのできるそこは、いつ行っても心身が洗われるようで気持ちがいい。神木が織りなす森に周囲360度をがっちりガードされた太極の空間だからだろう。
 しばらくすると体内から陰の気が抜けて肩が軽くなったので、境内の地図を取り出してながめてみる。本殿の南西方向にあの井戸があった。なるほど、裏鬼門だったのか。
 鬼門は新しい気が勢いよく噴き上げる活火山のようなものであり、「鬼が出入りする門」と言われるように、よくも悪くも激しい現象が起こりやすい神聖な方位といわれている。あの井戸は、名実ともにまぎれもない「パワースポット」だったのだ。

 活火山から勢いよく噴出するマグマのごとく、純粋なパワーがこんこんと湧き出る井戸に人が集まるのは当然のこと、しかしそこに人間の欲が集まると周辺の気がケガレ、小バエやミミズが湧く。もちろん井戸そのものがケガレているわけではない、それを取り囲む一部の人間の思念がケガレているだけだ。有名になりすぎたパワースポットの悲劇である。
 ではどうすればいいのかというと、 
◆なるべく朝一番で行く 
◆体調の悪いときはなるべく行かない
◆自分の願いごとに必要以上に時間をかけない(後ろの人のイライラした気を受けて損をする)
◆敏感な人はあらかじめ塩やお守りを持参する
◆ブームが去ったときに行く
 などが挙げられる。
 これらを心がければ、少しでも清く正しい状態のパワースポットを拝めるのではないか。
 ・・・・・・しかし神さまの立場からすると、「こうしてほしい」「ああしてほしい」と勝手に願い倒す人間ばかり押し寄せてきたらどう思うだろうか。「ほんにうざいのう」と向こうに寝返り打ってせんべいでもかじりながらテレビ見始めるのではないか。
 たまにチラリと振り向くときがあるとすれば、「いつもありがとうございます、神さまに認めていただけるよう一所懸命がんばります」と手を合わせる清らかな人間が来たときだけではないかと思う。

 2012.01.06