和菓子屋のおばあさん

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 夕方、買い物へ。太陽が姿を隠したとはいえ、まだ空気が熱っぽい。今年はあまりセミが鳴かないなあと思う。
 坂を下って小さな書店で本を買い、ついでに老舗の和菓子屋へ。なんだか甘いものが食べたくなったのだ。
 のれんをくぐると、おなじみのみたらし団子やいちご大福、あんみつ、水ようかんなど涼しげな水菓子がショーケースに並んでいる。すでに売り切れたものもある。
 どれにしようと迷っていると、店の奥からするりとおばあさんが出てきて、店の隅にしつらえた休憩用の椅子にとととと向かいすとんと座った。身長は150センチないくらい、細い身体に茶色のワンピースをまとい、薄い銀色の髪をひとつにまとめている。
 しばらく迷ってから若い店員に「これとこれとこれをください」と注文。背後にふわりと柔らかい視線を感じる。
 夕飯が済んで母屋からクーラーの効いた店に涼みに来たのかな、このくらいの時間になるといつも奥から出てくるのだろうか。
 ここに住んで数年になるが、その店でそのおばあさんを見かけたのは初めてだった。
 包んでもらっている間、さりげなく振り返るとやはり自分を見ている。年の頃は90手前あたりか、小柄なのに大人(たいじん)の風格、目の前でどんな悪党が何をしようと「ふうん」と静かに受け流して「あんたおなか空いてるんじゃないのかい」と団子を5、6本差し出しそうな雰囲気である。
 やはり人間も1世紀近く生きると余分な水分が蒸発して肉体はペラペラ・カサカサのするめみたいになるが、本体である魂はうまみが増し、噛めば噛むほど味わいが出てくるのではなかろうか。
 年寄りとは魔術師のようなもので、何もしなくても、ただいるだけでその空間を柔らかくほぐしてくれる。肉体がひからびて力が失せているぶん、気を自在に操ることができるのではないかと思う。
「おまちどおさまでした」
 包みを渡され、釣り銭をもらって店を出ようとすると、店員に続いて「ありがとうございました」の声が聞こえた。小さいがくもりのない声だ。おじぎをして店を出た。
 家に帰ってソファにごろんと横になり、買ってきた怪談本を読みながら、そういえばあのおばあさんリアルだったのかなあ微動だにしなかったしと一瞬思うがあっ豆大福と団子があるじゃんかと思い出し、あわてて食べた。

2012.07.07