うな重

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 秋の気配が抜き足差し足で忍び寄る8月下旬の夕刻、夏バテ回復大作戦の一環としてうなぎを食べに行った。
 昭和の面影が残る一軒家の引き戸をガラガラと開けるといい具合に枯れかけたお姉さんが出てきて好きなところへどうぞと言う。もちろん奥の小上がりがいいに決まっている。そそくさと靴を脱ぎ、畳を横切ってクーラーの前の座卓に座り、体内に溜まった熱気をフーッとはき出す。
「何にします?」
「瓶ビールと卵焼きと焼き鳥とうな重」
 お姉さんの白目が食べるねえお客さんと独り言を言っている、しかしそこは客商売、風のようにくるりとひるがえってリズミカルな声で調理場にオーダーする。
 いいのさお姉さん、自分はこのところ食欲がなくてそうめんやパンや梅干ししか食べていなかった、今日は思いっきり食べて起死回生するつもりなのさ。
 薄暗い店内にはリカちゃんトリオじゃなかった初老の男性トリオがすでに日本酒に突入している。ぼそぼそと会話しているが品がいいので何を言っているのかわからない。にしてもこの店はなぜこんなに暗いのだろうと不思議に思うがそのほうが涼しいし落ち着いて大人な感じがするからいいやと納得する。

「はいお待たせしましたー」
 ほかほかの湯気を放つ卵焼きが登場、付け合わせの大根おろしを乗せてひとくち大に箸でちぎってぱくんと口に放り込むと絶妙に甘い。これだこの味だよ卵焼きはこうでなくっちゃいけないよと舌が大絶賛する。死ぬ前に一瞬だけ元気になって何でも好きなものを食べていいと言われたら迷わずここの卵焼きを注文するよと思うほどのうまさである。ビールをコクッと飲む。
「はいお待たせしましたー」
 クシを抜いた焼き鳥とししとうとネギが皿に盛ってある。もちろんみりん醤油だれである。七色唐辛子を振りかけてぱくんと食べるとジュワッとジューシー、アーノルドジュワジュワネッガーなどと絶対に誰にもウケないダジャレをつぶやき、もしや自分は天才ではないかと錯覚しながらビールをコクッと飲む。
 そうやってコクッコクッと飲んでいたら大瓶が空いてしまった。仕方ないのでお冷やをもらう。
「はいお待たせしましたー」
 真っ赤な重箱のふたを開け、山椒をぱらぱらと降る。うなぎうまい、油のっててうまい、やっぱり夏はこれだよなあとたれのしみたご飯と一緒に口に運ぶ。また運ぶ。そしてまた運ぶ。
 重箱の世界を俯瞰すると広大である、子どもがはははははと大声で駆け回る神社の境内くらいある、今のところ4分の1クリアということは残り4分の3ということか。そのとたん、すでに腹がいっぱいになりかけていることに気づく。
 例えばうな重が4000円とすると今の時点で1000円分クリア、未消化分3000円、よし勝負はこれからだとうなぎを水で流し込む。しまったビールと卵焼きと焼き鳥と水で胃がすでにたっぽんたっぽんになっているぞと気づいた時点で神社の境内は残り4分の2。つまり半分である。
 どうすんのこれもったいないじゃんと自分を責めながら境内に箸を突っ込むが一度ストップした食欲は何をどうやってもびくともしない。重箱の中はどんどん日が暮れて今はもう誰もいない、ひからびたうなぎが冷えたご飯の上にアンニュイに横たわっているだけだ。
 ここで、私はカツ重の悲劇を思い出す。そう、あのときもこんな暑い夏だった。

 夏の外食は恐ろしい。どのくらい恐ろしいかというと、生きているうちにあと何回夏を迎えられるかなとふと考えてえっそれだけ? と気づいたときくらい恐ろしい。

2012.08.23